読んだ本の感想シリーズ 『歴史の大局を見渡す』②
第6章「モラルと歴史」を読む|善悪の基準は、歴史の中で作られてきたのか
本日は読んだ本シリーズ2回目です。前回の紹介した本と一緒『歴史の大局を見渡す』(アリエル・デュラント、ウィル・デュラント)です。
歴史の大局を見渡す ──人類の遺産の創造とその記録 (フェニックスシリーズ)単行本(ソフトカバー) – 2017/1/21
前回は、全体像と第7章「宗教と歴史」でした。今回は順番が前後しますが、第6章「モラルと歴史」を書きます。
道徳(モラル)は、普遍的で絶対的なものだと考えたくなります。
何が善で、何が悪か。何が正しく、何が間違っているのか。私たちはつい、それが時代を超えて変わらないもののように感じてしまいます。
例えば、今の私たちは「平和」な世の中が素晴らしく、みな「平等」で「自由」が正しいというある意味「真理」であると思い、信じています。私自身も非常に尊い価値観だと思いますし、子どもにもそう教育します。
しかし、約85年ほど前を考えてください。日本は欧米人を傷つけ、殺すことは正しいことであると教えられ、信じていました。子どもたちにもそう教育していました。
現代では当たり前ですがそんなことは許されませんし、だれも望んでもいません。
江戸時代は平和の時代と言われます。
しかし、初代の徳川家康の時代には、それより前の織田信長、豊臣秀吉の時代では敵将の首を取ることが「よい」ことでした。
それが儒教や朱子学などの学問の奨励によって、5代将軍綱吉の時代に価値観の転換が図られます。悪法として有名な「生類憐みの令」も生命を尊重するための法と考えれば、綱吉のやろうとしたことも理解できます。
私たちが現在真理であるとしている価値観も実は常に変わってきています。
『歴史の大局を見渡す』第6章「モラルと歴史」この章でデュラント夫妻が示そうとしているのは、道徳は天から降ってきた固定的な真理というより、社会が生き残るために形作ってきた歴史的な規範なのではないか、という見方です。第6章は、道徳を信じる人にも疑う人にも、かなり重い問いを投げかける章だと感じました。
道徳は社会を守るための「行動ルール」である
第6章の冒頭で、デュラント夫妻はモラルを、社会が秩序・安全・成長を保つために人々へ勧める行動規則だと捉えます。
ここがこの章の出発点です。
つまり彼らは、道徳をまず「抽象的な善悪の教え」としてではなく、社会が自分を維持するために必要としてきた仕組みとして見ています。だからこそ、ある時代に強く求められた徳が、別の時代にはそうでなくなることもある。逆に、以前は有利だった性質が、社会の変化によって問題視されることもある。第6章は、この変化の仕組みを歴史の流れの中で説明していきます。
悪徳も、かつては生存に役立つ「徳」だったかもしれない
この章ではまず狩猟社会・農業社会・工業社会という大きな区分の中で、必要とされるモラルが変わると論じています。
狩猟の時代には、戦う力、激しさ、貪欲さ、性的な積極性のようなものが、生き残るうえで有利に働いた。だから、今の感覚で「悪い」と見える性質でも、当時は生存や繁殖に結びつく有用な性質だった可能性がある。デュラント夫妻は、かなり強い言い方で、「あらゆる悪徳も、かつては徳だったのかもしれない」という趣旨を語っています。
現代の道徳感覚から見て「よくない」と思うものを、単純に人間の堕落や失敗としてだけ説明していません。むしろ彼らは、人間の欠点のように見えるものの中に、過去の生存競争の名残を見ています。
もちろん、この考え方をそのまま受け入れるかどうかは別です。
ですが少なくとも、第6章が道徳を「絶対的なルール」ではなく、「環境に適応してきた人間の歴史の産物」として見ていることは、非常によく分かります。
農業社会が生んだ道徳
勤勉、節制、早婚、父権、貞操、一夫一婦制
狩猟から農業へ移ると、必要な美徳は大きく変わる、とデュラント夫妻は書きます。
畑を耕し、家族で暮らし、同じ土地に定住する社会では、勇猛さより勤勉さ、暴力より規則正しさ、戦いより平和が重視されるようになる。子どもは労働力として意味を持ち、家族は生産単位となるため、父親の権威や早婚、貞操、一夫一婦制の重みも増していく。夫妻は、こうした農業的モラルが長くキリスト教ヨーロッパとその植民地を支え、「強い人格」を育てたと見ています。
ここで重要なのは、彼らが単に「昔は道徳的だった」と懐かしんでいるわけではないことです。
そうではなく、なぜその時代にその道徳が必要だったのかを説明しています。農業社会には農業社会の論理があり、その論理に合うかたちで道徳が作られていった。第6章の面白さは、まさにその点にあります。
産業革命が道徳を変えた
古いモラルの土台が崩れ始める
この章の重要な点は、産業革命によって道徳の土台が揺らいだ、という点です。
工業化が進むと、人々は家や村から離れて工場で働くようになり、家族のまとまりや父母の権威は経済的な支えを失っていく。子どもはもはや昔と同じ意味での労働力ではなくなり、結婚は遅れ、都市は結婚を難しくする一方で性の機会は増やす。女性の産業化、避妊の普及、都市の匿名性、科学の進歩、宗教的権威の低下などが重なり、農業社会のモラルはそのままでは維持できなくなったとデュラント夫妻は見ています。
※ここの説明は前回少し書いたアメリカ南北戦争にも関係します。北部(工業重視)と南部(農業重視)、どちらが勝利するかで、人間のモラルや価値観も大きく変わっていくことにつながります。
これは現在アメリカの共和党(保守・中産階級重視)と民主党(革新・労働者重視)にもつながります。
最も単純ではなく、賃金の低い労働者が共和党のトランプ大統領を強く指示する一方、比較的裕福なリベラル層がトランプ氏に強く反発するなど複雑に絡み合っています。
話を戻します。
第6章は、道徳の変化を単なる「堕落」や「風紀の乱れ」として片づけません。むしろ、社会の構造そのものが変わった以上、かつての道徳が弱くなるのはある意味で当然だ、と見ています。
この視点に立つと、道徳の問題は個人の意志の弱さだけで説明できないことが分かります。
社会の形が変われば、そこで自然に生まれる価値観や行動も変わる。第6章はそのことをかなり冷静に見ています。
戦争はモラルを揺るがす
暴力と不安が社会全体を変えてしまう
さらにデュラント夫妻は、戦争が道徳の緩みを強めると述べます。
ペロポネソス戦争後のアテネ、内乱後のローマを引きながら、戦争は暴力への慣れ、経済的不安、家庭秩序の揺らぎ、皮肉主義や悲観主義を社会にもたらすと描いています。そしてその姿は、二度の世界大戦後のヨーロッパやアメリカの都市にも重なると見ています。
これはその通りで、大きな大戦や世界的な影響はその後の価値観を大きく変えます。
コロナ前後の世界の価値観の違い、例えば衛生面、労働の在り方、は大きく変わっています。
戦争も第2次大戦中と、後で大きく価値観が異なることは明らかです。
欧州にとって悲劇的であったWW1の後も、平和主義が台頭しました。そのせいでドイツの再軍備やヒトラーの台頭を見過ごしてしまったという側面もあります。
でも、いずれもその時代に適応しモラルがあっただけと言えるかもしれません。
戦争とは前線だけの出来事ではなく、人々の感覚そのものを変えてしまう。人を殺すことが日常化し、国家が「敵を倒すこと」を善として命じる状況が長く続けば、社会全体の善悪の感覚にも深い傷が残る。モラルの変化は家庭や学校だけの問題ではなく、政治や戦争とも深く結びついていることがよく分かります。

ただし、この章は単純な「昔はよかった論」ではない
ここで第6章が面白いのは、現代のモラルの揺らぎを見て、ただ「昔は良かった」「今は堕落した」とは言わないことです。
デュラント夫妻は、売春や賭博、不正、腐敗、性の逸脱などはどの時代にもあったと繰り返し述べます。歴史書は例外的で刺激の強い事件ばかりを記録しがちだから、私たちは過去を必要以上に清潔な時代だと思い込みやすい。しかし実際には、どの時代にも罪はあり、同時に善意もあった、と彼らは見ています。
このあたりはとても大事です。
私たちは過去を美化しやすいし、逆に現在を特別に悪い時代だと思い込みやすい。けれど、その両方に距離を取ります。歴史はつねに混沌を含んでいて、人間は昔から善と悪を両方抱えて生きてきた。そう考えると、この章は道徳を裁く章というより、道徳を歴史の中で相対化しつつ、その必要性も捨てない章だと言えるでしょう。
私がこの章で特に重要だと感じた点
「歴史として書かれる過去」と「実際に生きられた過去」は違う
第6章の終盤で、デュラント夫妻は印象的なことを言います。
歴史として書かれる過去は、戦争、政治、犯罪、離婚、破滅のような目立つ出来事に偏っている。しかし、実際に生きられた過去の背後には、無数の平凡な家庭、献身的な結婚、親切な人々、子どもとともに生きた日常があったはずだ、と。さらに、歴史には残りにくい人間の善良さや助け合いにも目を向けるべきだと示唆します。
これは非常に大切な視点だと思います。
なぜなら、歴史を読むと、人類は愚かさと暴力ばかりを繰り返してきたようにも見えるからです。けれど実際には、社会が続いてきたという事実そのものが、目立たない日常の秩序や善意によって支えられてきたことを意味しています。第6章は、モラルの崩れを語りながら、同時に人間の善の歴史は記録されにくいということも教えてくれます。
この章の結論は悲観ではない
今は「古い道徳の死」と「新しい道徳の未完成」のあいだにあるのかもしれない
第6章の締めくくりで、デュラント夫妻は、現代の道徳的ゆるみがそのまま文明崩壊の前兆だとは限らない、と述べます。
むしろそれは、農業社会に根ざした古い道徳が力を失い、工業社会にふさわしい新しい道徳がまだ十分に形になっていない、過渡期の苦しさなのかもしれない。ギリシアやローマでも、モラルの弱化のあと長く文学や芸術や政治は続いた、と彼らは見ています。さらに終盤では、神学的な恐怖から解放され、他人を傷つけない快楽を後ろめたさなく楽しめる自由の一部は、現代のよい面でもあると認めています。
この点が、第6章を単なる保守的説教にしていない理由だと思います。
彼らは古い道徳の崩れを見ていますが、それを全面否定はしません。むしろ、変化の中で人間が何を失い、何を得たのかを見ようとしている。そこにこの章の冷静さがあります。
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執筆:中山 快(株式会社リコポ 代表)